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執筆者の写真坂本 慎一

『青天を衝け』第24回

渋沢栄一(篤太夫)がパリで大政奉還と戊辰戦争勃発の報を聞きました。後年の本人の回想では、昭武一行は皆驚いていたが自分一人はあらかじめ予想していたので落ち着いていたと言っています。これは本当にそうだったのか、第三者の記述がないので、実際のところは分かりません。ドラマでは、栄一は非常に動揺していました。これは架空の話として描かれたのでしょうが、案外こちらのほうが真実に近かったかもしれません。

日本では、鳥羽伏見の戦いがありました。慶喜が戦闘の陣頭指揮をとらず、なぜ現場から逃げてばかりいたのか、私も正直なところ、理由を理解できておりません。やる気があったのか、なかったのかさえ、不明瞭です。最終的には明治新政府への権力移行がスムーズに進み、日本は近代化できたので、結果オーライということでしょう。

私は、政治家を評価するのに「結果責任」ばかり追及して、「結果功績」を言わないのは不公平だと常々思っております。その観点から言えば、慶喜が何もしなかったことで、国内の混乱は最小限に抑えられました。慶喜の意図がどこにあったのかは不明ですが、彼の「結果功績」は評価されるべきでしょう。

と、いうことを主張すると、幕末の専門家からは、いろいろ言われるんですけどね。歴史上の人物の評価は難しいものです。

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