渋沢栄一(篤太夫)がフランスから日本に帰国しました。彼は帰国した際の心境について、「海外万里の国々は巡回したというものの、何一つ学び得たこともなく、空しく目的を失うて帰国したまでの事である」と書いています。この言い方は、何度もしているので、彼の帰国時の心境をよく表しているでしょう。ドラマでは、見立て養子の渋沢平九郎がなくなったことを知ったとき、特にそのガッカリした雰囲気が描かれました。
渋沢平九郎は飯能での戦闘に参加し、越生(おごせ)で戦死しました。ドラマをちょっと補足しますと、地図で北を上にするならば、飯能から左上(北西)に行けば一橋領の秩父へ行けたのに、右上(北東)に逃げたために新政府軍と鉢合わせてしまった形です。
平九郎が戦死した越生の山々は、現在ではほとんどがスギ山です。私は越生に行ったときに、生まれて初めて花粉症を発症しました。ですので、「渋沢平九郎」と名前を聞くだけで、スギ山の光景が思い浮かんで鼻がムズムズします。春先は、鼻をかみながら平九郎を偲んでおります。
長く牢屋に入っていた長七郎は、出獄できましたが、栄一の帰郷前に病死します。この時点では喜作の生死も不明だったので、栄一の孤独感はいかばかりだったでしょう。栄一の生涯で、一番の「どん底」が、この帰国の時点だったと私は考えています。ドラマではここを「どん底」にするのか、あるいは別な「どん底」をさらに用意しておられるのでしょうか。『渋沢栄一一日一訓』から次の言葉を引きます。
「寒くなればなるほど、春の花咲く季節は近くなる」(216ページ)
ここからどのような「春」が栄一におとずれるのか、注目したいです。
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