渋沢栄一が、いよいよ実業家として活動を開始することになりました。33歳の時です。当時の33歳ですから、今の感覚ですと45歳くらいでしょうか。「青年実業家」という年齢は、とうに過ぎていました。吉沢さんが若々しいので、渋沢も若いままのように見えますが、当時としては、もういい歳です。
民間に下ったのは、ドラマでも描写があった通り、民間に人材がいないと思ったからでした。実業こそ国を支える仕事である、という考えは栄一のゆるぎない信念です。
しかし、後の三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎と、さっそく衝突しそうな雰囲気です。岩崎と栄一では事業観が違い過ぎます。それぞれ優秀なのに、一緒に仕事はできませんでした。トイレ洗剤の「まぜるな危険」みたいな関係です。
後年の栄一は、さまざまな人物評価を残していますが、実業家については決して悪く言っていません。岩崎についても、個人としては何も憎んでいないと言っています。「商人は卑しい」という偏見と共に戦った同志、と言わんばかりです。仲良くなかった人を褒めてしまうほど、栄一はどこまでも実業家びいきなのでした。
そう考えると栄一は、NHKでドラマ化されるだけでは満足せず、民放こそ私を放送しなさいと思っているかもしれません。
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