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執筆者の写真坂本 慎一

『青天を衝け』第39回

渋沢栄一は、日露戦争の時にインフルエンザが悪化して大病になりました。ドラマでもあった通り、ほとんど死にかけた、といっていい状態でした。栄一は、日清戦争の時も皮膚がんを患っており、国家が戦争の時に大病する人でした。最後は満州事変の年に亡くなっています。

渋沢栄一一日一訓』には、次のような言葉があります。

「人は何ごとも楽しんで努力するのがよい。これが一番の健康法である」(130~131ページ)

栄一は、日清・日露戦争の時、仕事を楽しめなかったのでしょうか。商売人にとって、戦争ほど儲かるものもないのに、その時に寝込んでしまうのですから、栄一の平和主義は、体に染みついています。口頭で「私は平和主義です」と言うのは簡単ですが、国が戦争を始めたら大病して寝込むくらいでないと、栄一並みの平和主義者とは言えないでしょう。

また、栄一は、実業界からの引退を決意しました。この時で69歳です。吉沢さんが若々しいので混同しますが、本日の放送の終わりの時点で69歳になっています。第一銀行頭取も引退して完全引退になるのは76歳です。そして79歳の時に、『青淵先生訓言集』(現在の『渋沢栄一一日一訓』)を刊行します。もし来週の放送で、『青淵先生訓言集』が映ったら、それは私がNHKのみなさんに働きかけた結果、というわけではありません。念のため。

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